<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?> 
<feed version="0.3" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xml:lang="ja">
<title>drecom_sammyhmのブログ</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/" />
<link rel="service.post" type="application/x.atom+xml" href="http://cms.blog.livedoor.com/atom/blog_id=3873646" title="drecom_sammyhmのブログ" />
<link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<link rel="self" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/atom.xml" />
<modified>2012-02-23T18:53:17Z</modified> 
<tagline><![CDATA[]]></tagline> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:drecom_sammyhm</id>
<author>
<name>drecom_sammyhm</name> 
</author>
<generator url="http://blog.livedoor.com/" version="1.0">livedoor Blog</generator> 
<copyright>Copyright (c) 2012, drecom_sammyhm </copyright>
<entry>
<title>【一時的復活】授業用エントリです</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55793.html" />
<modified>2010-03-17T09:16:37Z</modified> 
<issued>2006-05-26T09:03:56+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55793</id>
<summary type="text/plain">5/26　河井先生と一緒にやっている「広報メディア基礎論・演習」の授業用に一時的にこのblogを復活させます（すぐ消します）。

因みに、blog再開は6月中旬の予定です。
私事ですが、自宅の引越、ようやく完了しました（「完了」と言っても、まだダンボールの隙間で暮らして...</summary> 
<dc:subject>Life</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55793.html">
<![CDATA[5/26　河井先生と一緒にやっている「広報メディア基礎論・演習」の授業用に一時的にこのblogを復活させます（すぐ消します）。<br>
<br>
因みに、blog再開は6月中旬の予定です。<br>
私事ですが、自宅の引越、ようやく完了しました（「完了」と言っても、まだダンボールの隙間で暮らしています。※ダンボールの「中」ではないよ！）。但し、ケーブルの乗り換えの関係で、まだ通信環境が安定していません。<br>
<br>
しかし、朝日の差し込む家っていうのはいいモンですね。<br>
<br>
<br>

<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/449 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>書き続けること、休むこと。</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55791.html" />
<modified>2011-07-27T05:52:06Z</modified> 
<issued>2006-04-24T23:39:09+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55791</id>
<summary type="text/plain">4/24　ついに一ヶ月、blogを休んでしまいました。

というか、かなり前（去年の夏ぐらい）から、そろそろ、このSammy's blogを、一旦お休みにしようか――と、ずっと考えていたんです。一度、エントリ数が400に達したときに、踏ん切りをつけようとしたのですが、どうもタイミ...</summary> 
<dc:subject>Life</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55791.html">
<![CDATA[4/24　ついに一ヶ月、blogを休んでしまいました。<br>
<br>
というか、かなり前（去年の夏ぐらい）から、そろそろ、このSammy's blogを、一旦お休みにしようか――と、ずっと考えていたんです。一度、エントリ数が400に達したときに、踏ん切りをつけようとしたのですが、どうもタイミングが悪く、そのときから444（長嶋のホームランの数）で一区切りつけようと決めてました。<br>
<br>
このエントリが、その444本目です（一本削除したのがあるので、実質上公開してるのは443ですが）。<br>
<br>
この一月も、書こうと思えば書きたいネタは沢山ありました。主に大学ネタが多いですが、卒業式もあったし、甲子園の早稲田実業と岡山関西の試合のことも書きたかった。4月になってから、大学の新しいプロジェクトまわりもにぎやかになってきたし、番組の改編にも一言言いたくもあった。4/10はNHK文研のシンポジウムで登壇、それから記号学会の準備や、情報学環での「ヒロシマ」の発表会も、いままでなら書いてたネタでした。・・・でも、書けなかった。<br>
<br>
書き続けることは難しいです。<br>
<br>
特に、たかがblogではありますが、同じ場、同じ形式で書き続けること（とはいっても、微妙にこの二年半でトーンは変わっていますが）は、僕という人間が変わり続ける以上、徐々に窮屈になってきます。<br>
<br>
僕は本当は何が書きたいのだ。<br>
何のために書いているのだ。<br>
<br>
最近は、書きながら、一月ほぼ15本という自分で決めたルーチンをこなしたほっとした気持ちの裏側で、ずっとこの問いと戦っていました（なんて、格好をつけるほどのものでもありませんが）。<br>
<br>
ということで、ちょっと休みますね。<br>
でも、すぐに復活しますから少々お待ちを（このサイトじゃないかもしれないけど）。<br>
<br>
<a href="http://mahamaha.cocolog-nifty.com/kyoyo/2006/04/post_7c06.html" target="_blank">http://mahamaha.cocolog-nifty.com/kyoyo/2006/04/post_7c06.html</a><br>
<a href="http://www.current.co.jp/blog/archives/cat_cat120.html" target="_blank">http://www.current.co.jp/blog/archives/cat_cat120.html</a><br>
<a href="http://blog.so-net.ne.jp/MizunoYutaka/2006-04-19" target="_blank">http://blog.so-net.ne.jp/MizunoYutaka/2006-04-19</a><br>
<a href="http://swingbooks.jp/blog/2006/04/post_13.html#more" target="_blank">http://swingbooks.jp/blog/2006/04/post_13.html#more</a><br>
<a href="http://centre.cocolog-nifty.com/media/2006/04/post_b3c1.html" target="_blank">http://centre.cocolog-nifty.com/media/2006/04/post_b3c1.html</a><br>
↑書き続けている、わが「友」に敬意を表しつつ。<br>
<br>
あ、そうそう。ついでだから「日本記号学会大会」＜記号としてのテレビ＞は宣伝しておきますね。<br>
<a href="http://www.nulptyx.com/lec_kigougakkai.html" target="_blank">http://www.nulptyx.com/lec_kigougakkai.html</a><br>
<br>
これまた、僕にとって大きな転機になりそうな学会シンポジウムです。
<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/448 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>快挙はラジオで</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55790.html" />
<modified>2012-02-03T18:48:10Z</modified> 
<issued>2006-03-21T23:34:55+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55790</id>
<summary type="text/plain">3/21　なにしろ、お彼岸の墓参りに行かなければならなかったもので、WBC決勝戦は、ほとんど運転しながらラジオで・・でした。

いやあ、ヒヤヒヤした。試合じゃないですよ。運転！　ケータイを運転しながらかけるのはNG、どころじゃないですよ――しかし、ラジオは面白いです...</summary> 
<dc:subject>Media</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55790.html">
<![CDATA[3/21　なにしろ、お彼岸の墓参りに行かなければならなかったもので、WBC決勝戦は、ほとんど運転しながらラジオで・・でした。<br>
<br>
いやあ、ヒヤヒヤした。試合じゃないですよ。運転！　ケータイを運転しながらかけるのはNG、どころじゃないですよ――しかし、ラジオは面白いですね。「いま、お墓参りの行き帰りで、運転しながらお聞きの皆さん」なんて呼びかけに、「ああ、僕のことだ」って素直に思ったりして。やたら「日本は新しいヒストリーを刻んだ！」なんて、サンディエゴからの中継のせいか、ところどころに無用な英語を挟むアナウンサーの癖に、心の中でふき出しつつも、結構、耳に入ることばと音だけで頭の中でちゃんとシーンを描けたりして、わくわくしながら聞けました。<br>
<br>
いろんなことがありましたが、僕は本当にこの大会を楽しめたと思います。どれも実に面白い試合だった。野球というゲームを十二分に満喫できた。僕も野球小僧だっただけに（今もそうですね！）心から夢中になれた。それを支えてくれたのは何より試合の緊迫感だったと思います――それは、一方のチームだけでは出来ない。全ての選手たちの頑張りに、本当に敬意を表したいと思います。<br>
<br>
だからこそなんですが、野球というゲームそれ自体がもつ隙の多さ、というかそれを語るメディアをはじめとした人々のことばの不用意さが気になって仕方がなかった。いや、野球だけじゃないかもしれない。国別団体戦の宿命かもしれないけど、やっぱ、ナショナリズムとか安易なイデオロギーを簡単に呼び込みすぎる。<br>
<br>
若者たちが口々に叫ぶ「日本人でよかった」っていう台詞は、この勝利の喜びに対して本当に相応しいことばなのでしょうか。「ありがとう」「感動した」――感情レベルではそのことばには確かにうそはないでしょう。しかしそれは何に対して？？？　こういったことばを考えなしに発することに対する違和感は、とみに最近大きくなりつつあります。<br>
<br>
このような疑問を呈したならば、「じゃあお前は日本チームを応援していなかったのか？」と言う厳しい問いがすぐに襲ってくるでしょう。もちろん僕も、心から応援していました。何故？　それはものすごく簡単な理由です。僕は小さい頃から、この選手たちが育った（今はMLBにいるイチローや大塚も含め）チームたちが競い合っている「プロやきゅう」が身近な存在だったからです。親しいものを応援する――そういった単純なことなんです（実はそれがとても大事なことなのではないでしょうか）。それは決して、それが「日本というの国家の代表選手だから」なんて大それたことではないのです。<br>
<br>
安易な「感動」に乗じて、この快挙が、「大きな物語」へのすり替えに染まってしまわないように、もっともっと今回のような出来事を「ものを考えるチャンス」として大事に扱っていきたいものです。<br>
<br>
その点、今晩のNews２３の筑紫哲也の多事争論“滅私無用”は、久々に素直にナイス！と思いました――松井たち、自らの意思で参加しなかった選手たちに思いを馳せつつ――「全くの自由意志で集まった選手たちで成し遂げた快挙であるということが大きな意味を持つ」<br>
<br>
アメリカの報道にもなかなか深みを感じます――「新しい世界秩序」（ESPN)、「ベースボールではなく、今回はヤキュウが最高だった」（AP通信）<br>
<a href="http://www.major.jp/news/news20060321-13289.html" target="_blank">http://www.major.jp/news/news20060321-13289.html</a><br>
<br>

<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/447 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>女王の誕生</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55788.html" />
<modified>2010-03-17T09:15:59Z</modified> 
<issued>2006-03-19T13:32:51+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55788</id>
<summary type="text/plain">3.17-18と、「女王の教室」スペシャルをみました。

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/20060221et03.htm

うーん、こういう風なスペシャルを組むのは、確かに注目は集めるだろうけど、物語的にはどうなんだろう。説明過剰じゃないだろうか。白いスーツがグレーに、...</summary> 
<dc:subject>Media</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55788.html">
<![CDATA[3.17-18と、「女王の教室」スペシャルをみました。<br>
<br>
<a href="http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/20060221et03.htm" target="_blank">http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/20060221et03.htm</a><br>
<br>
うーん、こういう風なスペシャルを組むのは、確かに注目は集めるだろうけど、物語的にはどうなんだろう。説明過剰じゃないだろうか。白いスーツがグレーに、そして黒にという[変化]など、わかりやすすぎるシンボルがてんこ盛りで、ちょっとおなか一杯な感じ。<br>
<br>
そもそも物語りは、因果性を逸脱したところに生まれるわけで、昨年の「女王」の緊迫感の大半は、その部分に支えられていたはず。確かに一部には大変衝撃を与え、批判もやむことがなかったドラマではありましたが、そここそがこのドラマの魅力の核心部分と表裏一体だったはずです。最初から、この「種明かし」を予定していたかどうかは知りませんが、なんか随分安っぽくなったなあと、ちょっとがっかり。<br>
<br>
このことは、最近あちこちで見られる過剰な「説明」に対する欲求（すぐ「説明責任」とか、口走る気味の悪い傾向）とシンクロした問題ですね。<br>
<br>
しかも「エピソード１」「エピソード２」・・これでは明らかにスターウォーズだ。何故、アナキンがダースベイダーになったかのストーリーの焼き直しみたいで。。。<br>
<br>
とはいえ、それでも最終シーンにはうなった。やはりこのドラマは天海祐希にしかできない。「まだ、こんな甘い顔じゃダメだわ」といって鬼の表情に徐々に変わる、この演技は圧巻でした。
<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/446 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>アメリカの黄昏</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55778.html" />
<modified>2010-03-17T09:15:51Z</modified> 
<issued>2006-03-17T23:21:30+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55778</id>
<summary type="text/plain">3.17　いろんなことが起こるＷＢＣ。なんとアメリカによるアメリカのための大会で、アメリカが敗れました。

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/jpn/wbc/2006/index.html

野球というもの自体が、アメリカというグローバル経済が支えるメタ国家を象徴するようなスポー...</summary> 
<dc:subject>Media</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55778.html">
<![CDATA[3.17　いろんなことが起こるＷＢＣ。なんとアメリカによるアメリカのための大会で、アメリカが敗れました。<br>
<br>
<a href="http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/jpn/wbc/2006/index.html" target="_blank">http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/jpn/wbc/2006/index.html</a><br>
<br>
野球というもの自体が、アメリカというグローバル経済が支えるメタ国家を象徴するようなスポーツで、何しろ、国内大会のチャンピオンシップを「ワールドシリーズ」などと標榜こと自体が、そのことをあからさまに表しているわけですが――なんだか、この出来事は野球に留まらず、こうした「アメリカ」というか、グローバル経済の自己言及性転じて「自作自演性」の破綻としか、言いようがなく、（例の審判員のことも含め）甚だ滑稽に見えてしまいます。<br>
<br>
つまり、これは9.11以降の、アメリカという国家の不思議な一連の行動の延長線にあることがらとしてみるととても面白い。<br>
<br>
折りしも、ブッシュは就任後最低の支持率となったそうです。<br>
しかし、それでも、その「穴の開いたシステム」に寄りかかることを公言して憚らない日本という国は、ほんとうに「なんだかなあ」。。。<br>
<br>

<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/445 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>テレビと記号論</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55777.html" />
<modified>2010-03-17T09:15:42Z</modified> 
<issued>2006-03-15T23:45:32+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55777</id>
<summary type="text/plain">3.15　いよいよ動かないわけにいかなくなりました。この日は朝から、5月13日、14日に予定されている日本記号学会の大会準備――発表内容や登壇者候補への打診に一気に手をつけ始めました。

http://www.iamas.ac.jp/~yoshioka/jass/
詳細が決まりましたら、↑にアップされる...</summary> 
<dc:subject>Media</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55777.html">
<![CDATA[3.15　いよいよ動かないわけにいかなくなりました。この日は朝から、5月13日、14日に予定されている日本記号学会の大会準備――発表内容や登壇者候補への打診に一気に手をつけ始めました。<br>
<br>
<a href="http://www.iamas.ac.jp/~yoshioka/jass/" target="_blank">http://www.iamas.ac.jp/~yoshioka/jass/</a><br>
詳細が決まりましたら、↑にアップされる予定です。<br>
<br>
11日に行った石田先生との打ち合わせをもとに動き出したわけですが、「テレビ」という対象、「記号」というアプローチをどのように広くとるかが、企画そのものにとって極めて重要な課題、というか難題。お声をかけさせていただいた皆さん！よろしくお願いいたします（詳細のご相談は、個別に、のちほど）。
<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/444 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>帰去来</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55776.html" />
<modified>2010-03-17T09:15:42Z</modified> 
<issued>2006-03-13T12:15:55+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55776</id>
<summary type="text/plain">3.12　日中大学でオープンキャンパス。これからこの大学を目指そうとする高校生たちと向き合ったあと、同僚の先生たちと連れ立って、横浜のベイ・シェラトンへ。そう。この日は謝恩会。

日程調整の関係で、どれくらい集まるのか心配していましたが、約40人弱が集合。久々に...</summary> 
<dc:subject>University</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55776.html">
<![CDATA[3.12　日中大学でオープンキャンパス。これからこの大学を目指そうとする高校生たちと向き合ったあと、同僚の先生たちと連れ立って、横浜のベイ・シェラトンへ。そう。この日は謝恩会。<br>
<br>
日程調整の関係で、どれくらい集まるのか心配していましたが、約40人弱が集合。久々に会う懐かしい顔も多く、にぎやかで楽しい会になりました。準備してくれたＳさん、司会のＡさんはじめ、実行委員の皆さん、本当にご苦労様でした。<br>
<br>
今年の4年生は、僕が始めてこの大学に来たときの二年生。特に最初に持った授業の主な履修者たちなので、ついつい「ああ、みんな大人になったな」などと、爺むさい感慨に浸ったりして。でも、本当にそう思うよ。いつからかなあ、去年のはじめ辺りからだろうか、君たちがどんどん「学生」に見えなくなり、なんとなく「友」として接するようになりはじめたのは。<br>
<br>
二次会のあと、カラオケに行って、90年代の歌をメドレーで歌いながら、同じ時代を君たちと生きていることを実感し、胸が熱くなりました――年とってなどいられない。<br>
<br>
二年前の謝恩会と同じように、僕は「人生はいくらでもやり直しが効く。しかし、準拠点が不明確なやりなおしは、浮遊していることと変わりがない。この大学は、そうした君たちの人生の準拠点たるべく変わらずにここにあります。だからいつでも戻ってきてください」と言いました。まだたった三年ですが、教員というのは因果な商売だなあ・・と思います。つまり、人生の旅を続ける卒業生たちの「故郷」を守り、そしてそこで文化を生産し続ける役割を背負っているんだなあ、と。<br>
<br>
考えてみれば、慶応と東海と場所は違えど、僕は大学に帰るべくして帰ってきたのだと思います。<br>
<br>
帰去来兮　　　　陶淵明<br>
<a href="http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/kikyorai.htm" target="_blank">http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/kikyorai.htm</a>
<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/443 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>メタ・プロジェクト</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55775.html" />
<modified>2010-03-17T09:15:42Z</modified> 
<issued>2006-03-11T12:04:59+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55775</id>
<summary type="text/plain">3.10　このところずっと、学生たちとミーティングの日々です。何のミーティングかというと、これまで学科で行ってきた様々なプロジェクトを、ひとつの大きなプロジェクトにまとめて、チャレンジセンターの公認プロジェクト（大学から、運営予算をゲットしよう）に格上げさせ...</summary> 
<dc:subject>University</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55775.html">
<![CDATA[3.10　このところずっと、学生たちとミーティングの日々です。何のミーティングかというと、これまで学科で行ってきた様々なプロジェクトを、ひとつの大きなプロジェクトにまとめて、チャレンジセンターの公認プロジェクト（大学から、運営予算をゲットしよう）に格上げさせようというもの。いわば「プロジェクトのプロジェクト―メタ・プロジェクト化」ミーティングっていうわけです。<br>
<br>
僕は学生たちの積極性にまかせっきりですが、かなり、組織論として高度な議論をしていると思います。特に、50人以上のメンバーをどう束ねていくか――権限を一極に集中させずに、開かれた柔軟な運営をするために、どうしたらいいか。その結論として、彼らは、スタティックな組織を構造せずに、会議体の連携での運営を志向しつつあります。このプロセスはかなり面白いです。<br>
<br>
そういえば、僕はあまり関われなかったけど、メルの関連プロジェクトで「会議のデザイン」っていうのがあったなあ。<br>
<a href="http://www.nextdesign.jp/jst-sunaga-forum/design/index.html" target="_blank">http://www.nextdesign.jp/jst-sunaga-forum/design/index.html</a><br>
レポートを読み直してみようっと・・思ったら、ファイルがあがっていない（泣）
<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/442 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>公共圏に吹く風</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55774.html" />
<modified>2010-03-17T09:15:41Z</modified> 
<issued>2006-03-09T10:21:29+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55774</id>
<summary type="text/plain">3.8　情報学環の学環長を務められた花田達朗先生の「最終講義」に行きました。

僕が情報学環に入った年は、花田先生の本務は社情研で、学環には兼務でこられていた立場でした。もし、学環の専任でしたら、20年前ハーバーマスで卒論を書いた僕は、おそらく花田先生の研究室に...</summary> 
<dc:subject>Media</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55774.html">
<![CDATA[3.8　情報学環の学環長を務められた花田達朗先生の「最終講義」に行きました。<br>
<br>
僕が情報学環に入った年は、花田先生の本務は社情研で、学環には兼務でこられていた立場でした。もし、学環の専任でしたら、20年前ハーバーマスで卒論を書いた僕は、おそらく花田先生の研究室に入ることを希望したと思います。それが選択肢としてなかった僕は、新しいチャレンジとして西垣先生の研究室に入った・・・これは結構「運命」の分岐点だったと思います。<br>
<br>
しかし「出稽古」好きの僕は、修士論文の最初の構想発表の場を敢えて花田ゼミに選びました。僕の頭の中には「３」という数字を手がかりに、ヘーゲル弁証法とラカンの三界の理論とパースの三項図式を重ねる構想があった――これを誰にぶつけたらいいか。。僕は迷わずに「弁証法」的思考にまず挑むことを考えたのです。このとき、花田先生からいただいたあたたかいことばが、僕の研究の出発点のひとつになっているといってもいいでしょう。<br>
<br>
この日の花田先生は、珍しく「個人史」を語られました。<br>
その中で、僕と花田先生が、なぜ情報学環で出会うまで接点が乏しかったかがはっきりわかりました。僕が専らフランクフルト学派を追いかけていた1980年代は、先生はドイツにいた。先生が積極的に「公共圏」に対して発言をされ始めた1990年代前半は、僕は最もビジネスにはまっていた――しかし、それだけに情報学環入学が決まったころから再びむさぼるように読み始めた「公共性／圏」論は、僕にとって新鮮でした。<br>
<br>
花田先生は、極めてロマンチストであります。それは「理念型」というメタ概念に対する思いにあらわれています。「理念型」は、現実から抽出されたモデルであるにとどまらず、「未来」からやってくる「夢（花田先生は、それを「あるべき・・・」とよく言われる）」のようなものなのです。この「あるべき・・・」を構想する力に、実は花田先生は最も魅かれ、その一方で、どんどん社会の中からこの力がそがれていることを何よりも憂いていたのではないか。この日の講義は僕にはそんなふうに聞こえました。<br>
<br>
講義は特にハーバーマスとの関係を中心に語られましたが、先生の「公共圏」へのこだわりには、実はハーバーマスより、『空間の生産』のH.ルフェーブルの影響を強く感じるように思います。その点があまり語られなかったのが残念（質問したかったけど、そんな雰囲気じゃなかったので）。そうでないと、建築や、文化政策などへの先生の関心や交友関係は説明できないなあ、と。<br>
<a href="http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/hanada/hanadap1/hanadap1.htm" target="_blank">http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/hanada/hanadap1/hanadap1.htm</a><br>
（花田達朗と建築あそび）<br>
<br>
intercommunication2001.9号に掲載された「公共圏に吹く風」がこの日は配布されました。<br>
そのエッセイは宮澤賢治の「生徒諸君に寄せる」をナビゲータにして構成されていました。<br>
<br>
最後に花田先生は、その中で引用されなかった一節を読み上げて、授業を終えられました。<br>
<br>
「新たな時代のマルクスよ<br>
これらの盲目な衝動から動く世界を<br>
素晴らしく美しい構成に変へよ」<br>
<br>
そうか、やはりマルクスなんだ。この瞬間、僕の中で花田先生と学部時代の恩師である野地洋行先生が重なりました。ぐっと来ました。<br>
<a href="http://why.kenji.ne.jp/asahi.html" target="_blank">http://why.kenji.ne.jp/asahi.html</a><br>
（宮澤賢治「生徒諸君に寄せる」）
<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/441 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>もう少しわかりやすく言うと</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55773.html" />
<modified>2010-03-17T09:15:41Z</modified> 
<issued>2006-03-07T18:45:07+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55773</id>
<summary type="text/plain">3/7　メルが終了したことに対する思いを、「感傷的」と揶揄されることを恐れずに書くことにします。

僕が情報学環に入学が決まった年（厳密に言うと、最初僕は仕事をしながら通うつもりでいたのですが、12月に会社が買収され、会社を辞めることを決意したすぐそのあと）、メ...</summary> 
<dc:subject>Media</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55773.html">
<![CDATA[3/7　メルが終了したことに対する思いを、「感傷的」と揶揄されることを恐れずに書くことにします。<br>
<br>
僕が情報学環に入学が決まった年（厳密に言うと、最初僕は仕事をしながら通うつもりでいたのですが、12月に会社が買収され、会社を辞めることを決意したすぐそのあと）、メルプロジェクトは始まりました。オープニングのシンポジウムも、今回と同じ法文2号館だったのですが、もっとうんと広かった印象がありました――その広さは、僕がこれから何をやっていくのか、自分でも見えない、今とは別の「不安」だったのかもしれません。<br>
<br>
情報学環で二年、そして東海大に入っての三年が、僕にとってのメルとの五年間でした。僕にとって水越先生は「副指導教授」だったので、最初の二年は、やや距離のある関係だったことは確かです。ずっとシンポジウムも「お客さん」としての参加でした。僕自身も、大学院での研究はやや理論っぽいことをしたいと「うそぶいて」いたので、それもこの距離にあらわれていたように思います。はっきり言えば、あまりにも長すぎたビジネスマンとしての生活；そこで向き合っていた「メディア」像（特に「広告」とか「インターネット」とか）を、相対化できていなかったのです。正直言えば「哲学」っぽいことにすがって「引き」をつくることで、自分の歴史から逃げていたんでしょうね。<br>
<br>
そうした僕を変えてくれたのが関連プロジェクト「変革の世紀」でした。水越先生は、僕を大学院の学生としてではなく、フリーのマーケティングプランナーとしてメンバーに加えてくださいました。これが大きかった。つまりメル的な「実践（すなわち理論と分かちがたい位置にある知の営み）」の範疇で、僕はそれまでの僕の仕事と向き合わざるを得なくなったのです。<br>
<a href="http://mell.jp/C3-henkaku.html" target="_blank">http://mell.jp/C3-henkaku.html</a><br>
<br>
東海大学という職場を得るきっかけも、水越先生とのこうした関係が前提となって、でした。このときまで僕は大学院に行きつつも、「将来大学で教える」イメージをはっきり言って全く持っていなかったのです。「文学部」というフィールドで「メディアを教える」こと。そこで何が出来るか――僕はこの辺りから急速に、メルの活動にそのイメージの源を求めるようになります。<br>
<br>
もう一つの大きな転機が、2004年（このときは既に東海大に入って10ヶ月になっていました）1月の公開研究会での登壇です。このときに「視聴率」をテーマに喋ったことが、今の僕の放送やインターネットをはじめとした、様々なメディアについての発言の原点になっています。視聴率をベースに取引される「広告」。この（かつて僕が生業としていた）システムが、社会的なコミュニケーション装置としてのメディアの産業的基盤となっている矛盾――という気づきを与えてもらった。<br>
<br>
思えばいま、僕がやろうとしているいくつかのプロジェクトの発想の源は全てメルにあります。。。もちろん、メル以外の源は「ない」といっているわけではありません。正確に言えば、メル以外のリソース、例えば西垣先生から学んだ「情報学」のコンセプト、石田先生から学んだ「記号の知」、花田先生から学んだ「空間としての公共概念」、吉見先生から学んだ「メディアなるもの」のコンセプト・・・。そして僕自身のビジネス経験。「広告」「デジタルメディア」に対する“経験的”理解。さらには思索の奥に地層として堆積している学部時代の野地先生から学んだ「近代知と批判精神」――は大きい。大きすぎる。しかし、これらを結びつけていこうと思う、ネットワーク的なモチベーションは、まさしく「メル」というか、水越先生とそのゆかりの人たちからなる「メル的環境」からいただいたものです。<br>
<br>
思えば、随分僕の関心は広がり、また焦点化してきました。<br>
■メディア＝文化論的研究―とりわけ「バラエティ」という場、「笑い」という現象に対する記述方法を手がかりに進める「環境分析」作業<br>
■CATV、コミュニティFM、そしてBlogという「小さなメディア」とその「メッセージ＝産業的基盤」の形成に向けた（いずれ、地デジにもつながる）仕組みづくりのアプローチ<br>
■「チャレンジセンター」という新しい大学の実践的「学びの場」での、学生×大学×社会とのリアルな向き合い<br>
<br>
他にも沢山ありますが、さしあたり僕の「種」は、この三つの方向に播かれ、風に乗って、もしくは逆風にあえぎながら、空中を漂っている感じです。<br>
<br>
やることは極めて具体的に僕に迫ってきています。正直逃げ出したいくらい（苦笑）です。いままででもそのプレッシャーとギリギリで闘ってたのに、さらに今、ついに迷ったときに帰るべき場所（メル）がなくなった。そんな途方にくれてしまうような感覚に、この二日間襲われています。<br>
<br>
三つの大きなプロジェクトは、待ったなしで僕に襲いかかってきています。<br>
<br>
で・・・そうか、僕はやっぱ「メル」に対しても、ある種の逃げ場を求めていたんだな、ということに気づいたので、このエントリを書くことにしました（えへへ・・照れ笑いです）。<br>
<br>
つまり一個前のエントリのようにかっこよく理論的に「総括」するのは、僕にとってはちっとも「総括」にならないのですね（あはは）。<br>
<br>
補足）もう一つリソースはあった！　それは「演じること」。学生時代かじった演劇とパントマイム、そして自分のアイデンティティとセクシャリティに対する疑い。これも「メル」の場でネットワーク的に、実践として表すことが出来た。とりわけ上田先生にそれを評価してもらったことが、嬉しかった。<br>
<br>
今年のシンポジウムで演じた「落語家」は、僕にとって忘れられないキャラクターになりそうです。しかも、オレンジ色の着物でよかった。笑われるかもしれないけど、僕にとってのこうした「扮装（コスプレ）」は、安斎さんと中村さんのカンブリアンみたいなものなんですよ。・・なんていうと大げさかな。<br>
<a href="http://mell.jp/symposium/2005/2005report_bazaar.html" target="_blank">http://mell.jp/symposium/2005/2005report_bazaar.html</a>（去年のバザールではDJでした）
<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/440 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>播種（はしゅ）</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55765.html" />
<modified>2010-03-17T09:15:41Z</modified> 
<issued>2006-03-06T16:37:04+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55765</id>
<summary type="text/plain">3/4,5の二日間のシンポジウム。これをもってメルプロジェクトは、5年間の全ての活動を終えました。皆さん、ありがとうございました。今はまだ「感謝」の言葉を口にすることだけしかできません。

http://mell.jp/

組織継続が自己目的化しないように、あらかじめ「終わり」を...</summary> 
<dc:subject>Media</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55765.html">
<![CDATA[3/4,5の二日間のシンポジウム。これをもってメルプロジェクトは、5年間の全ての活動を終えました。皆さん、ありがとうございました。今はまだ「感謝」の言葉を口にすることだけしかできません。<br>
<br>
<a href="http://mell.jp/" target="_blank">http://mell.jp/</a><br>
<br>
組織継続が自己目的化しないように、あらかじめ「終わり」をプログラムする――これこそ「言うは易し」です。しかしメルは「終わること＝種を播くこと」と積極的に定義することによって、当面、十二分にその難しい壁を乗り切ったといえるでしょう。<br>
<br>
危機は「終わり」を自覚した2005年のシンポジウムに端を発しました。残りわずか1年を切ったのに、なぜいまさら組織体を変えるのか。しかし、この決断が、「終わり」を「播種」に読み替える新しいコンテクストを呼び込んだのだと思います。<br>
<br>
この二日間のシンポジウムの構成は“美しかった”と思います。いや構成だけでなく、演出を支えたいくつものカンブリアン・システムのシェールが、その“美しさ”を瞬間的に「記憶」のレベルに昇華させました。<br>
<a href="http://www.renga.com/index_j.htm" target="_blank">http://www.renga.com/index_j.htm</a><br>
<a href="http://cambrian.jp/" target="_blank">http://cambrian.jp/</a><br>
しかしまさしく初日のパネルディスカッションで安斎さんが言われたように、これは単なる「可視化」をサポートするシステムではない――そこに提示されたものは（僕らを面白がらせてくれたものは）「創造」というモノ、例えば、共振だけでなく違和感も含めて対象化する力だったのではないかと思います。だからこそ、この「記憶」は、過去の痕跡として残るだけのものではなく、常に現在形として繰り返しあらわれ、我々を問う存在になりうるのです。<br>
<br>
ある種の共鳴関係にありつつメルの外に息づく様々なプロジェクトを「大宇宙」として描き、それに対して内なる活動を「小宇宙」と位置づけ、その間にWSを介して吐き出された様々な問題意識、思い、違和感を「塵」としてその中間に配した図は、播種――すなわち種が播かれる空間の見取り図になるだろうといえます。今回のシンポジウムは空間的にはこの「地図」を描き、時間的には「今日のメル」を中間点に未来と過去を往還（リフレクション）し、そして最後に宣言というかたちで道しるべを表す――実に締まった、無駄のない姿を提示することが出来たと思います。<br>
<br>
もちろん、これは決して「大団円」などではありません。例えば、「東京宣言」というかたちでまとめられた、“メディア・リテラシー”に関する現状認識においても、必ずしも実践を続けてきた我々と、隣国からそれを評価する眼差しとが、違和感なく重なり合っているとは言えなかったと思います。しかし、この宣言の中で示された、7つの指針――「理論的体系性」「階層性」「循環性」「共創性」「普遍性」「学際性」「持続性」――には（細かい文言のブラッシュアップの必要はあるにせよ）、メディア・リテラシー問題に留まらず、全ての「知を生きる」活動のベーシックセオリーたりえる迫力がありました。<br>
<br>
「終わり」に付き物の多少センチメンタルな気持ちと、「場」を失い、自分自身を播かれた「種」と自覚するにはあまりに心細い、そんな「不安」に苛まれつつも――既に「メル後」は始まっているのです。
<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/439 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>「チャレンジ」の意味</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55762.html" />
<modified>2010-03-17T09:15:35Z</modified> 
<issued>2006-03-03T15:45:08+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55762</id>
<summary type="text/plain">3/1の科目内容の検討会議、3/3の学生を交えてのミーティングで、「チャレンジセンター」は一体何を、どうやっていくのかようやくかたちが見えつつあります。
http://www.u-tokai.ac.jp/challenge/

この大学の新組織は、基本的には、同志社大学「プロジェクト・ベースド・ラ...</summary> 
<dc:subject>University</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55762.html">
<![CDATA[3/1の科目内容の検討会議、3/3の学生を交えてのミーティングで、「チャレンジセンター」は一体何を、どうやっていくのかようやくかたちが見えつつあります。<br>
<a href="http://www.u-tokai.ac.jp/challenge/" target="_blank">http://www.u-tokai.ac.jp/challenge/</a><br>
<br>
この大学の新組織は、基本的には、同志社大学「プロジェクト・ベースド・ラーニング（PBL）」、金沢工業大学「夢考房プロジェクト」、広島経済大学「興動館」などのプロジェクト志向の教育を大学に取り入れていく試みに並ぶものといえます。しかし、13学部72学科を抱えるウチの様な巨大な大学がこの領域に踏み込むことは、大きなリスクを伴います。<br>
<br>
それは端的に言うなら、「人間力」とか「コミュニケーション力」「創造性」「個性」といった、未定義の穴の開いた概念に振り回され、ともすると精神力や善悪のアンチノミー、そして「大学の危機」そのものを商品化しようとする勢力の餌食になってしまうということです。<br>
<br>
実際に活動する「学生」をも含む様々な「当事者」と、この半月（特にこの一週間）じっくり話をしてきたおかげで、その危機はなんとなく回避されそうです。とりあえず、「コミュニティ」「実践」「マネジメント」という三つの「育成すべき力」を定義づけていく理論的磁場が明確になってきた。授業もプロジェクト支援もしていかなくてはならない僕としては、ほっと一安心です。<br>
<br>
ここにいたるプロセスで、非常に役に立った本を三冊紹介しましょう。<br>
●M.ド.セルトー「マス・カルチャーを前にした大学」（『文化の政治学』所収）<br>
<a href="http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/3/0040550.html" target="_blank">http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/3/0040550.html</a><br>
●本田由紀『多元化する「能力」と日本社会―ハイパー・メリトクラシー化のなかで』<br>
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4757141041/249-0360115-3305908" target="_blank">http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4757141041/249-0360115-3305908</a><br>
●田辺繁治『生き方の人類学―実践とはなにか』<br>
特に、この最後の田辺さんの本については、<br>
<a href="http://booklog.kinokuniya.co.jp/hasegawa/archives/2005/10/post_1.html" target="_blank">http://booklog.kinokuniya.co.jp/hasegawa/archives/2005/10/post_1.html</a><br>
↑長谷川さんのこの書評から大きな影響を受けました。<br>
「実践コミュニティ」の意味に関する僕の理解は、この本からダイレクトに得たというより、最も親しい友人の一人である長谷川さんとここ数年、この辺りについて様々な議論をしてきたことが大きな下支えになっているといえます。僕がこうして、大学の新しい動きに何か「物言い」をしていけること、それ自体が、こうしたコミュニティベースの関係に支えられているのです――それに対して、改めて感謝をしたい気分です。<br>
<br>
そのコミュニティ・・・「メル・プロジェクト」がいよいよ、今週末「最後の」シンポジウムを開きます。
<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/438 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>競うということ―トリノの思い出</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55748.html" />
<modified>2010-03-17T09:15:35Z</modified> 
<issued>2006-02-28T15:05:47+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55748</id>
<summary type="text/plain">2/27　トリノオリンピックが終わりました。
http://www.joc.or.jp/torino/

いやほんとに、楽しかった。こんなに楽しかったの初めてじゃないかな。
一言でいうと――「競う」ということ、そのモノの快楽を随所に感じることができた――そこに今回のオリンピックの魅力があっ...</summary> 
<dc:subject>Media</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55748.html">
<![CDATA[2/27　トリノオリンピックが終わりました。<br>
<a href="http://www.joc.or.jp/torino/" target="_blank">http://www.joc.or.jp/torino/</a><br>
<br>
いやほんとに、楽しかった。こんなに楽しかったの初めてじゃないかな。<br>
一言でいうと――「競う」ということ、そのモノの快楽を随所に感じることができた――そこに今回のオリンピックの魅力があったように思います。<br>
<br>
特に僕のお気に入りだったのが、スノーボード・クロスと、クロスカントリーの各種目。最終日のフリー50kmのゴール前のデットヒートなんて、大興奮でしたよ。2時間も淡々と走り続けてきて、それで最後の最後の数百メートルの勝負で決まる。じゃあ、それまでの2時間はなんなのか？といわれそうだけど、実はその2時間を耐えてこの最後のスプリントの足がどこまで残ってるかがポイントなんですよね。<br>
<br>
スノーボード・クロスの「転倒しても最後までゴールさえすれば記録がのこる」っていうルールも面白かったなあ。先行集団が一人の転倒に巻き込まれて、遅れていた選手が漁夫の利を得るなんてのもしばしば。うん、このスポーツは新しいかも。<br>
<br>
「勝負」」の多様性を実感させてくれるという新しさで言えば、カーリングもそうですね。<br>
<br>
採点種目も面白かった――特にその点、荒川静香の功績は大きいですね――こうした競技の選手は、相手とではなく「採点者」とりわけその「基準」と戦っているのだというところがクローズアップされたのは面白かった。モーグルやハーフパイプもそうでしたね。一か八かの勝負に行くか行かないかの「決断」も、重要なポイントだったかも。<br>
<br>
アルペンの皆川健太郎には興奮した。今回、アルペン会場の映像は美しかったなあ。雪上のブルーラインも見やすかったし、スピード感を捉えるカメラ技術も上がったことが実感できた。<br>
<br>
それにしても、です。「番組」がこうした各々のスポーツの面白さをどこまで映し出せていたかという点になると、それはそれはひどいものだったと思います。安心して見れたのは、日本選手（いわゆる有力メダル候補といわれる人たち）が出ない、22:00台の中継くらいなものかな。<br>
<br>
某民放局キャスターが総集編でこんなことを言っていました。<br>
「とかくメダル争いばかりにとらわれがちですが・・・」<br>
おいおい！そればかりに拘泥して、ひたすら煽っていたのは誰だ？！<br>
「競う」ということに向けられた一元的な眼差しには辟易します――あまりにテレビは自分たちの言説に対する自覚がなさすぎ。何をかいわんやです。<br>

<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/437 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>気合ダー</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55747.html" />
<modified>2010-03-17T09:15:28Z</modified> 
<issued>2006-02-27T02:04:51+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55747</id>
<summary type="text/plain">2/25　ということで・・・物件の契約をしに、町田に行きました。そしたら、うぉっ！　町田駅前は選挙戦真っ只中で。候補者の声がいくつも重なって耳がウォンオォン！！

商店街を菅直人が声をからして練り歩き、原町田通りでは、なんとあの「気合ダー」のおっさんが吼えてい...</summary> 
<dc:subject>Media</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55747.html">
<![CDATA[2/25　ということで・・・物件の契約をしに、町田に行きました。そしたら、うぉっ！　町田駅前は選挙戦真っ只中で。候補者の声がいくつも重なって耳がウォンオォン！！<br>
<br>
商店街を菅直人が声をからして練り歩き、原町田通りでは、なんとあの「気合ダー」のおっさんが吼えている。<br>
<br>
ショッピングを楽しむ人ごみの中では、こうした声は文字通り不協和音でしかなく、、人々の日々の暮らしのトーンと、「政治」という祭りの遠さを、改めて感じざるをえませんでした。<br>
<a href="http://www.city.machida.tokyo.jp/cgi-bin/senkyo/sokuho/kouho.cgi?thread=b" target="_blank">http://www.city.machida.tokyo.jp/cgi-bin/senkyo/sokuho/kouho.cgi?thread=b</a><br>
<br>
結果を見ると、この「気合ダー」の応援演説を受けていた候補は、最下位落選だったようですが。。ちょっと興味があったのでいろいろ調べてみると、利権がらみの記事もあって、、ますますなんだかなあ。<br>
<br>
個々の候補者がどうこうという問題じゃなくて、この「選挙」とか代議員制という政治システムが、コミュニケーション回路として完全に機能不全を起こしている。特に、メディアに取り上げられにくい地方選挙ほど、病巣は根が深いように思います。政治は知らないところで起こっているのではなく、わざわざ「知ってて無視される」仕組みとして再生産されている。「気合ダー」の声が大きければ大きいほど、この問題の大きさが胸にささりました。<br>
<br>
＃そんな中で、こんな試みもなされていたそうです。<br>
<a href="http://www.mogisenkyo.com/2006/03/post_2d31.html" target="_blank">http://www.mogisenkyo.com/2006/03/post_2d31.html</a><br>
Webと選挙の関係は、こういうところから育っていくべきではないでしょうか。<br>
<br>
＃政治がらみでは・・こんな取材も受けました<br>
<a href="http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060225k0000e040058000c.html" target="_blank">http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060225k0000e040058000c.html</a><br>
この国は、大きな声は宙に浮き、その一方で小さい声を編んでいく仕組みもどうも出来にくいようです。<br>
<br>
<br>
<br>

<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/435 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>大森林の小さな家</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55746.html" />
<modified>2010-03-17T09:15:27Z</modified> 
<issued>2006-02-26T14:55:54+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2006:drecom_sammyhm.55746</id>
<summary type="text/plain">2/25　久々に良質のドキュメンタリーに出会いました。

http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
ETV特集　第128回　「大森林の小さな家―熊野・野尻さん一家の十年」
2月25日　22:00～23:30

じっくりと長期取材を行い、そこから（それだからこそ）見えてきた沢山の...</summary> 
<dc:subject>Media</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://sammyhm.dreamlog.jp/archives/55746.html">
<![CDATA[2/25　久々に良質のドキュメンタリーに出会いました。<br>
<br>
<a href="http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html" target="_blank">http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html</a><br>
ETV特集　第128回　「大森林の小さな家―熊野・野尻さん一家の十年」<br>
2月25日　22:00～23:30<br>
<br>
じっくりと長期取材を行い、そこから（それだからこそ）見えてきた沢山の主題に、視聴者のポリフォニックな眼差しを誘う。日本の森林政策と産業の問題、都市化と過疎集落、生活文化と自然との共生、子育て――こうした様々な社会的コンテクストが、一人の山男の生きざまを通じて、まるで遠景のようにゆったりとした時間の流れの中で見え隠れする。骨太なテーマを扱いながらも、重くならず、爽快感すら感じされる絶妙のつくりでした。<br>
<br>
ドキュメンタリー＝記録映像という、この言葉のもともとの意味、その力を考えさせられる、まさに「秀作」でした。
<!-- BASENAME=http://sammyhm.blog.drecom.jp/archive/436 -->]]> 
</content>
<author>
<name></name> 
</author>
</entry>
</feed>

