3.8 情報学環の学環長を務められた花田達朗先生の「最終講義」に行きました。

僕が情報学環に入った年は、花田先生の本務は社情研で、学環には兼務でこられていた立場でした。もし、学環の専任でしたら、20年前ハーバーマスで卒論を書いた僕は、おそらく花田先生の研究室に入ることを希望したと思います。それが選択肢としてなかった僕は、新しいチャレンジとして西垣先生の研究室に入った・・・これは結構「運命」の分岐点だったと思います。

しかし「出稽古」好きの僕は、修士論文の最初の構想発表の場を敢えて花田ゼミに選びました。僕の頭の中には「3」という数字を手がかりに、ヘーゲル弁証法とラカンの三界の理論とパースの三項図式を重ねる構想があった――これを誰にぶつけたらいいか。。僕は迷わずに「弁証法」的思考にまず挑むことを考えたのです。このとき、花田先生からいただいたあたたかいことばが、僕の研究の出発点のひとつになっているといってもいいでしょう。

この日の花田先生は、珍しく「個人史」を語られました。
その中で、僕と花田先生が、なぜ情報学環で出会うまで接点が乏しかったかがはっきりわかりました。僕が専らフランクフルト学派を追いかけていた1980年代は、先生はドイツにいた。先生が積極的に「公共圏」に対して発言をされ始めた1990年代前半は、僕は最もビジネスにはまっていた――しかし、それだけに情報学環入学が決まったころから再びむさぼるように読み始めた「公共性/圏」論は、僕にとって新鮮でした。

花田先生は、極めてロマンチストであります。それは「理念型」というメタ概念に対する思いにあらわれています。「理念型」は、現実から抽出されたモデルであるにとどまらず、「未来」からやってくる「夢(花田先生は、それを「あるべき・・・」とよく言われる)」のようなものなのです。この「あるべき・・・」を構想する力に、実は花田先生は最も魅かれ、その一方で、どんどん社会の中からこの力がそがれていることを何よりも憂いていたのではないか。この日の講義は僕にはそんなふうに聞こえました。

講義は特にハーバーマスとの関係を中心に語られましたが、先生の「公共圏」へのこだわりには、実はハーバーマスより、『空間の生産』のH.ルフェーブルの影響を強く感じるように思います。その点があまり語られなかったのが残念(質問したかったけど、そんな雰囲気じゃなかったので)。そうでないと、建築や、文化政策などへの先生の関心や交友関係は説明できないなあ、と。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/hanada/hanadap1/hanadap1.htm
(花田達朗と建築あそび)

intercommunication2001.9号に掲載された「公共圏に吹く風」がこの日は配布されました。
そのエッセイは宮澤賢治の「生徒諸君に寄せる」をナビゲータにして構成されていました。

最後に花田先生は、その中で引用されなかった一節を読み上げて、授業を終えられました。

「新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ」

そうか、やはりマルクスなんだ。この瞬間、僕の中で花田先生と学部時代の恩師である野地洋行先生が重なりました。ぐっと来ました。
http://why.kenji.ne.jp/asahi.html
(宮澤賢治「生徒諸君に寄せる」)